数字論・家具論

2010年02月28日(日)

数字が苦手である。
数学の成績もよくなかった。いや、悪かった。

それゆえ、会話で頻繁に数字が出てくる人にはコンプレックス・・というか、この人には敵わないな・・私とは人種が違うんだな・・としか思えない。
そのくせ、数自慢の人には、決め付けられるので結構疑って掛かるところがある。

ここ一番では、たいてい失敗する性質なので、1・・は強すぎて遠慮してしまう。
比較的好みの数字は3・5・7・8、書き辛いのは2・である。
6・・9は、上下を丸くするのが正しいのであろうが、尖らせて書く人が殆ど、正しく書く人は少ない。

野球好きだが、プロ野球の選手の背番号は覚えられないし、データもすぐ忘れる。
品質表示のパーセントなど殆ど信用していないし、貧乏なくせに金銭感覚がうとい。

時計も、絶対的にアナログフアンで、一日に10秒や20秒遅れても判らないのが良い。
デジタルだと、時間が進むのが早いと感じるし、誤差が気になるので休まらない。

電波時計などというのは、ほとんど狂わないらしいが、1ヶ月に4〜5分遅れる方が、なんとなく可愛らしいと思う。

私は、絶対に狂いません、誤差がありません・・というのは、自信タップリの人みたいで苦手だし、欠点が魅力に映る人に親近感が湧く。

家具の中で一番好ましい・・というか「思い」を感じるのは、テーブルと鏡である。
収納家具といわれる洋服タンス、洋品タンス、食器棚などは、幼児期は一般家庭でも多くはなかった。
収納しておくべきものなどは、行李の2〜3個も有れば充分足りるほど物の乏しい時代でもあった。

テーブルといっても、食卓テーブルでもなく、座卓でもない。脚を折りたたむ丸い卓袱台である。
三度の食事は勿論、工作台であり、勉強机でもあった。
不謹慎なことであるが、時には踏み台でもあった。
不用の折には、たたんで転がして部屋の隅に立てかけておけば、部屋を広く使える優れものであった。

鏡・・は正しく言えば鏡台、スガタミ・・のことである。
本三や半三(三枚が同じ大きさの鏡と、両面が正面の2分の1サイズのもの)は、日本独自のものではないだろうか。着物の習慣・特に帯を用いる国ならではの知恵と機能と思うのだが、詳しくは判らない。

陽のあまり射さない薄暗い部屋の中で、異様に赤い布地の鏡台掛けがかかったその家具には、何故か秘め事の類を感じる。
居間や客室に有る白やカラフルな化粧台では駄目、丸い手鏡や櫛、ヘアピンや白粉、紅が引出の中に納まっている、そして蛹が蝶に変わるように、密やかに変身する家具が鏡台なのである。

既に人生の4分の3を経過した現在でも、そんな追憶の家具である鏡台は、たとえ家内の持ち物であっても、生涯開ける事の叶わぬ禁断の家具なのである。


窮余の一策

2010年02月25日(木)

最近、ラジオの調子がおかしい。
N・H・Kを選局して、殆ど朝からつけっぱなしなのだが、2〜3分ごとにザーという雑音が入るのだ。
他の民放局ではなんともないので、原因が掴めない。

町から少しばかり離れたこの場所は、椴松林が西側を覆っている事もあり、電波の受信状況があまり良くない。

テレビや携帯にもその影響は少なくない。
生活に影響を及ぼす程の事ではないのは、勿論であるが・・・

ラジオが言う事をきかないからと、殴ったり張ったりは子供の頃からよく目にする光景であり、なぜ直るのかは不明だが確かに一時はよく聞こえるのであった。
出たての頃のテレビも同様であった。

自動販売機でも、飲料などが出てこないときなど、まず一つ二つ機械を叩いてみると、ハッと目覚めたようにあわてて出てくる場合もある。
ショック療法というやつである。

この方法は、繊細な機械にも通用するようである。
パソコンがいう事をきかなくなり、機械音痴の私には手も足も出なくなった事がある。

こうなったら救う方法はただ一つ、専門家であるM氏に助けを求める。
あの手この手で原因を探っていたM氏、意を決したように取った処置は、強制電源オフである。
つまり、パソコン電源プラグをコンセントから抜き取ったのである。

パソコンは、順序立ててオフにしないと、再起動の際に支障をきたすことは初心者でも判ることであるが、この基本を破ったのである。

結果は見事に直り、その後何の支障もない。
殴ったり張ったりしたのとは多少意味合いが異なるが、まあショックを与えるという意味では似たようなものであろう。

たかが機械のくせに、私より能力的に優れているとみえて、外国からでも写真や文章を瞬時に届けてきたり、駅や販売所まで出かけなくとも、チケットや入場券が手に入る。

電話までなら何とか理解できるが、メールやファックスになると、もう理屈が判らない。
使えないと不便なので解ったような顔をして使ってはいるが、本当のところは全く理解できていない。

機械が知恵をつけて人類を支配するようになるのでは・・というのが、あの人気の映画「ターミネーター」のストーリーであるが、人間が開発したものに振り回されてはたまらない。

それゆえに、殴る張るの方法で機械が動いてくれると、自分の方が勝っているようで、妙にホッとするのである。

臆病者の哲学

2010年01月21日(木)

一段と雪が深くなり、裏の雑木林や椴松林もスッポリと根雪に覆われる。
動物達もひっそりと息を潜め、その気配さえ見せようとしない。喜びの春は、まだまだ遠い。

唯一動き回るのが小鳥達である。
餌場の乏しくなった野鳥達が、バードフィーダーを賑わす。
朝から陽の落ちるまで順番待ちの盛況である。
バードフィーダーは、枝の込み入ったイタヤカエデの真下にあるため、天敵が襲いにくくなっており、種類も数も多いのである。

軽量の日雀は警戒心が薄く、人を恐れない。少し慣れてくると、手のひらから餌を運ぶ。
昨年は、大群も見られたが、今年は何故か殆ど姿が見えないのが寂しい。
大柄なミヤマカケスは、コーンやクズ米は食するが向日葵の種には手(?)を出さない。
アカゲラは脂身や向日葵は啄ばむが、クズ米は好まない。
一昨日からはシメが渡ってきた。土の現れる3月末までバーダーには楽しい季節となる。

1週間程前、医院を訪ねた。
2〜2年ほど前から声がかすれたり、朝の歯磨き時に痰がきれにくい感があったり、音域が狭くなった実感があり気になって来つつあった。

毎年、人間ドックでの検査は怠らなかったが、担当医に尋ねたところ、食道はしっかり検査するが気管は綿密ではないとのこと。
耳鼻咽喉科での確認を勧められ、さっそく決断した次第。

検査結果は、幸いにも特に異常は見られず、季節的要因や年齢的要因ということで、投薬の必要もなく些か安堵しているところである。

専門医にかかるまでの数日間、自分なりの乏しい医学知識で病名を考察していた。
最悪は咽喉癌で、声が出なくなったらどうしよう・・・とか、禁酒を通告されたら何としよう・・・とか、良からぬ方へ考えが向いてしまう。
やや遅かったですね・・などと言われようものなら、生きる意欲など吹き飛んでしまう。「命根性」が汚く、臆病者なのである。


癌の告知については、賛否両論であろうが、私見としては絶対に告知してくれるな・・である。
余命を知らされ、冷静に判断し、残された時間に為すべき事を為す・・などという強い心など持ち合わせていない。
病と闘いながら、キチンと身辺整理を行い、限られた時間を精一杯全うした・・などと聞くと、ただひたすら尊敬するだけである。

今までに大したことも出来ないで生きてきたのに、限られた時間で語り継がれるような事を為せる筈もないし、知る事での負担など出来れば必要ないと思う。
怯えを悟られまいと懸命に格闘させる事は、余計な荷を背負わせることで、凡人には重過ぎる。

人は、終わりが不明だから生きられるのだと思う。
もう年だから、そろそろ・・と言いながらも、自分だけはまだまだ生きられると、どこかで思っているのが殆どの人であろう。
極悪非道の死刑囚などでも、刑の執行が決まり、それを知った時点で、その多くは発狂に近い状況に陥るといわれる。

人が老いるということ、老いてボケるということは、ボケる事によって、死の恐怖から逃れさせようとする神の力である・・という類の話を読んだ記憶がある。
眠るような安らかなエンドにするために、人は老いるのだという。


我々の世代は、戦後の物不足の時代に学校に通った。
特に、食べ物については皆貧しかった。
給食の無い時代であったから、何らかの都合で弁当を持ってこられない子は、当然昼食抜きであった。
お弁当を忘れた・・と、お腹が痛いから・・とが理由の殆どで、お弁当の時間は校庭や体育館で遊んでいた。

担任の先生も、われわれ周りの子も、その子に弁当を分け与えるような事はしなかった。
これは、決して情が薄かったとか、助け合う余力が無かったとかいうことではない。
それによって、より肩身の狭い思いをさせたり、萎えさせてしまうことで、もっとその子を傷つけてしまうということが、判っていたからであろう。
貧しい事は恥ではないが、憐憫は耐え難いのである。

余命を告知され、周囲に気を遣わせながら生きていくのとは、異なるとは思うけれど、気づかぬふりをさせ続けるのは、やはり肩身が狭い。
最期は、やはり知らない方が良い。


オマケ・・付録・・しみったれ

2010年01月12日(火)


新年の3日、気のおけない友人たちと会食した。
まず1杯目はジョッキで乾杯だが、2杯目からはそれぞれ好みの飲み物へと進んでいく。

1人が瓶ビールを注文した。
出てきたのは、いまどき珍しい大瓶である。
呑み助というのは、こと飲み物の量に関しては、甚だ意地汚いもので550円という値段から、中瓶と思っていたのだが、大瓶が出てくるとそれだけで嬉しくなるのである。

昔は、大瓶がビール瓶であり、中瓶・小瓶などは無かった。
おぼろげな記憶であるが、最初に小瓶を大衆化せしめたのは、「アサヒスタイニー」という栓抜きのいらないタイプのような気がする。
つまり、いつでもどこでも気楽にどうぞ・・というコンセプトで開発されたもので、アウトドア用であろう。缶ビールは記憶にない。

又、大容量の「サッポロジャイアンツ」というデカボトルがあり、ジャイアンツの熱烈ファンでもあって、愛飲したものである。

中瓶が出回り始めてから、バーやスナック等酒場が多用し始め、大瓶と同じの値段据え置き実質値上げとなり、おおいに落胆したものだった。

映画の中で酒場での喧嘩のシーンとなると、瓶を叩きつけ、ギザギザの部分を相手に向ける場面がよく登場したが、あれも大瓶だから「サマ」になるので、小瓶や中瓶では笑いになってしまう。
ジョッキやグラスでは喧嘩の道具にならない。

しみったれた事を言えば、コップの冷や酒も同様で、枡に溢れた分がオマケに感じられて、あそこは安い・・と繁盛するのであり、多少コップが大きくとも枡に溢れないのはコップ酒ではないのである。

おまけ・・といえば、昔の漫画雑誌。
「少年画報」「漫画王」「冒険王」「少年」などの月刊雑誌が全盛を誇っていたが、付録の多少は購入の大きなポイントであった。

夏休み号となる7月、冬休み号となる12月は特に付録が多く、人気の漫画が別冊となり、7大付録とか10大付録付きとかで発行数を競っていた。
今考えると大した付録でもなく、厚紙で作った幻灯機であるとか、切抜きの紙飛行機とか双六といったものであり、組み立てても1〜2度使った後は放って置かれる程度のものであった。

現代では似たようなやりかたとしては、テレビショッピングがある。
メインの品をタレントや司会者に安価さを強調させ、その上で1〜2品をサービスで付けるあのやりかたである。
思わせぶりに、驚きの声を付加させて・・である。

そうして手に入れたものを、大切に愛用しているなんて話は聞いた事が無い。その殆どが引き出しの中でお休みである。
まあ、個人の好き好きであるから、非難するほどの事でもない。そんなことは、どうでも宜しいのである。
無駄もまた、消費拡大である。

だがしかし、漫画については些か異見がある。
大の大人が子供向けの週刊漫画本をネクタイ姿で読みふけるのは、諸外国人に胸を張れる光景では無い。
若い女性達の車内化粧も同様で、好き好きとか自由とかはき違えてもらっても、日本人として困る・・のである。誇りは失ってはいけないのである。

また己の考えで決め付けてしまった。
悪い癖である。



賀状よもやま・・・

2009年12月15日(火)


先ほどからお茶ばかり飲んでいる。
机上には、2010年度の年賀状と住所録が広げられている。
元日配達のためには、そろそろ書き始めようと思っているのだが、一日伸ばしになってしまい、一向に進まない。
ここ数年、毎年こんな繰り返しである。厄介というほどの事ではないのだが、義理とか習慣で継続している部分が
多少あり、従前ほど気が入らないのである。

10数年前から、いただく賀状の大半がパソコン文字となり、かっての万年筆やペン、墨痕鮮やかな筆字は殆どみられない。
かく言う自身も一枚一枚手書きをしていたのは8年ほど前までくらい、すっかり手抜きに慣れてしまっている。
いただいて嬉しくない年賀状の筆頭は、印刷された文字だけの賀状らしい。
一瞥(誰からのものか・・)されただけで終わり。
あとは、当選番号の確認だけのご用とか・・

我々の世代は、字の巧拙はともかく皆筆をとっていた。
小学校から習字(書道とは言わなかった)は必須授業であり、墨汁なんてものは買えなかったから墨摺りからが授業で、それもまた楽しいものであった。

年賀状書き・・・というより、年賀状作りという方が相応しく、図工の時間に木版や芋版で「賀正」や「干支」を彫り、何度も試し刷りを繰り返し、賀状に写しとっていった。
多少、色気づいて来た頃になると、恋文を出す勇気が無い者は好きな女の子に賀状で意思を察してもらえるよう苦心したものだった。
純情・・という字は、青春の代名詞でもあった。

賀状の発行枚数が減り続けているらしい。
印刷やパソコン文字でも賀状を出す習慣があるうちは減りながらも続くのであろうが、メールや携帯で済ませる時代でもある。
賀状を書かない人の理由は、面倒だとか、費用がもったいない等・・
ちょっと理窟派は、年が明ける前に「明けまして・・」とか「家族一同無事に越年いたしました・・・」という内容自体に、何がしかの違和感を感じるという人も、賀状否定の一因だという。
もらう側の意思を考慮すると、形式だけの賀状であれば有る時期をもってやめるという決断も選択の要素であろう。

隣国台湾に駐在した経緯から、現在でも10数人との賀状交流が続いている。
中国は慶事の色は赤と決まっているので、賀状は赤と金色を使った華やかなものが多い。
葉書のような薄っぺらなものでなく、結婚式の招待状を思わせるような二つ折りで、さらにカラフルな封筒入りである。
面白いのは「恭賀新嬉」と「聖誕快楽」を兼ねてあるのが多いということ。
ご丁寧に「Happy・new・year」and「Merry・christmas」と英訳付きである。


別にケチっているわけでも無いだろうし、クリスマスの1週間後に新しい年が明けるわけだから、合理的と言えば合理的。
必然的に、12月24日以前に届くように書くが多少の遅れは意に介さない。
クリスマスの装飾も、26日には早々と取り外すわが国と異なり、1月下旬頃まで平気で飾ってある。

旧暦の元日が中国の正月だから、毎年正月は変わるわけで、正月飾りは2月になる。
帰郷のラッシュ度は、日本の比ではなくすさまじい。

親戚、知人に消息を伝え健在を確認し合える年賀状は、単なる年中行事や習慣ではもったいない。
それを生かすためにも、一言自筆で書き加える事が大切なのである。賀状は自筆が望ましい。

あなたの事を常日頃気に掛けています・・忘れていませんよ、これがその証拠です・・という思いを葉書一枚で届けられるのであれば、相手も返事を煩わしいとは思わない。
そう思う一方で、相手の迷惑も懸念し、そろそろ最少にとどめようかな・・とも思う。

やめると縁が切れてしまうのでは・・という恐れもあり減らす勇気も度量もなく、今年も賀状を前に腕組みして唸っているのである。
恋文など、もう二度と書けない齢(よわい)を嘆きながら・・・


惜別

2009年11月28日(土)

一人の若者がこの町から去って行く。
廃校になって朽ち果てようとしていた校舎を再生し、新しい生命を吹き込むプロジェクトの中心メンバーであった。

昨年の春、プロジェクトの母体であるN・P・Oの事務局長として赴任した彼は、社会経験も十分とは言えず、表情はどこか頼りなげであった。

生来の口の重さもあり、自らをさらけだすことが不得手に見えた。
見ず知らずの土地で人間関係を開拓し、志を遂げるのは誰にとっても容易なことではない。
なによりも、時間が必要であった。

身の丈180センチほど、体重計の針は軽く大台を振り切っていた。
0.1トンと表現した方がふさわしいかもしれない。
丸太のように太い腕っ節はウエイトリフテングで鍛えられ逞しかった。
動き回る様は、ヒグマのごとし。朴訥な口調と相俟って愛嬌があった。

さして間を置かず、彼は町に溶け込み着実に人の輪を広げていった。
その仕事ぶりは日毎に成長し、表情には自信と誇りがみなぎるようになった。
再生工事は順調に進み、彼の任務は一段と多忙になった。

スポンサーからの資金援助は限られており、手弁当によるワークショップの比率が高くなった。
先頭に立つ彼の時間の殆どは校舎再生に注がれていたがその表情に悲壮感はなく、むしろ充実感に溢れていた。

解体、壁塗り、タイル貼り、廃材運搬、ベッドづくり、大工も左官もすべてこなした。
連日、夜遅くまでの作業が続き、埃にまみれた手足や衣類は常に真っ黒。伸ばし放題の髪もヒゲも彼の奮闘振りを端的に物語っていた。

再生工事がほぼ完成に近づき、運営計画の具体案が語られるようになったころ、NPO組織に亀裂が生じた。
組織の要として絶対的な信頼を置いていた理事長とその片腕を失う事になり、迷走が始まった。
後日の理事長説明会によると、彼の不動の信念と統率力を恐れた・とある人物・から圧力が掛かったらしい。
思い通りに動かない彼の一徹さが疎んじられたのであろう。

資金的なバックアップの切り札を失った組織の動揺は大きく、お決まりのお家騒動へと進んでいった。
大きな関与が係わったという現実に、ボタンの掛け違い・・ぐらいと思っていた我々は、その認識の甘さに気付かされた。

ひとたび崩れた組織を立て直す力は、もう誰も持ち合わせていなかった。
内部分裂を起こしたNPOを校舎の運営から撤退させることは、赤子の手をひねるより簡単であった。
残された理事は、契約不履行を理由にすべて辞任を求められ、大きな身体の若者も居場所を失った。

二、三人前を軽くたいらげるあの食べっぷりが好きだった。
最近は、心労続きで胃痛を訴え、始めて会ったときから15キロも目方を減らしてしまった。
彼の活躍の場とするには、この町はあまりに小さく窮屈であった。一日も早い体調回復のためにも、今はこの町の引力から逃れる方が良いのかも知れない。

彼の無念さを思うと胸が切なくなる。救う事が出来なかった自分が情けなく、口惜しさと無力感にさいなまれている。
しかし、このことが彼の将来に不幸ばかりを残したと思いたくない。彼の汗と情熱がしみ込んだ夢の校舎は確かにそこに在るし、誰が所有しようとお金で買えない人情でつながったNPO活動の産物である事実も消す事は出来ない。

この町の人々には、これまでの事の顛末と真相を知ってもらいたいと願っている。
重要な事は、この建物はスポンサーの資金援助だけでは完成し得なかった・・という事である。
改修工事費援助という支援が無ければ、確かに事は進まなかったと思うが、再生させたいという町民の純粋な思いと活動がなければ、現在の復興は有り得なかったのである。援助という「価格」と現在の「価値」は大きく違う。町民がそれを付加したのだ。

この町はわずか2年の間に二つのNPO、すなわち「NPOくりやま」「NPO雨煙別学校」の理事長、事務局長が辞任に追い込まれるという事態を経験することになる。何がそうさせたのであろう。

夢や理想、誇りなくして人は生きられない。
若い彼にとっては、大きな希望と失望、期待と挫折を味わった二年間だったであろう。
この町を出るとき、君は一人ではないと手向けの言葉を贈りたい。
校舎再生に情熱を燃やした全ての人々の思いを一緒にカバンに詰めて旅立って欲しい。
S君、ありがとう。また会おう。



少し気になること

2009年11月14日(土)


先日、中頓別に住む友人のW・Y氏からメールをいただいた。
春先からH・Pが更新されていないことへの叱責と激励である。

更新するだけの時間や暇がないわけでなし、いやむしろ有り余るほどの時間も暇も題材もある訳で、原因は生来の怠惰ゆえ・・・だけの事である。

しかし、春から更新していないという事実を確認すると改めて時の経つ早さに愕然としてしまう。
この年令になると、過ぎて行く時間の早さが、子供の頃の2倍にも3倍にも加速して行く。
まだかまだかと指折り数えて待つ楽しさなど遠い日のことである。

勿論、H・Pに手を付けていない事に対しては、多少の後ろめたさというか軽い罪の意識は有った事は否定できない。
私だって、「少し気になって」いたのである。

「少し気になる」・・・ということで思考してみた。

身近なところから列挙してみると、先ずは翌日の天気、日々発生する国内の事件の進展具合、保存している庫内の食品の賞味期限の日付け、駐車時の隣の車、割り勘酒席の自分以外の人の注文品の値段(・・・せこいね)、
取り損なった折れたトゲ、おろし立ての衣服や靴の使い始めの汚れ、のし袋を出した後お金がチャンと入っていたかどうか、今年はなんとか日本一を奪回したが、一点差でのクルーンのリリーフ・・などである。

どれもこれも、それ程大して心配するほどの事でもないのであるが、私にとって「少し気になること」なのである。

新しい流行の音楽やファッションなどは、全く判らずさして良いとも思えない。
流行の言葉(特に横文字の略語)もしかり、遅れているように思われるのもいささかシャクなのであるが、少し気になりアトをひくのである。


新聞

2009年03月10日(火)

猫柳の蕾がふくらみ、わずかばかり開き始めた。
細かい雨になっている。
春が、駆け足で近づいている。

日課である2頭の愛犬との散歩を終え、朝食の用意。
乏しい知恵を絞り、食卓を整え腹を満たす。
茶を呑みながら新聞に眼を通す。
至福のひと時である。

百聞は一見に如かず・・・というが、アナログ人間の私は聴覚や視覚から入ってくる情報より、丁寧に読む新聞からのメッセージが、より良く把握され蓄積される。

数年前から字体が拡大され、眼鏡に頼る身としては、まことに有り難い。
読み終えた新聞は、大体1ヶ月分程をまとめてゴミに出す事となる。

ひと昔前まで、新聞はゴミにならなかった。
学校へは、弁当箱を包んで行ったし、習字も練習はまず新聞紙、半紙は清書用であり失敗してはいけないものであった。

成長の早い子供時代は、大体において親は一サイズ上を買い与えた為、長靴やゴム短靴の中敷、或いは帽子の中敷にもサイズ調整を兼ねて使った。
紙兜や紙鉄砲の材料でもあった。

レジ袋など無い時代で、豆腐や油揚げ、魚屋野菜、塩や釘(当時は量り売り)なども新聞紙で包んで渡された。
鼻をかんだり、火オコシの炊き付けや御不浄で使われた後に畑に戻された。

今ほど印刷の技術もインクも上質ではなかったから、鼻やお尻が黒く染まったものだが、それ以上の不都合もなかった。

風呂敷と同様、使われ方の文化が失われてしまうには少しばかり惜しい機能を持つ一つと考えるのであるが・・

中欧の旅にて

2009年02月26日(木)

言語は使えるだけ世界が広がり、豊かな人生を過ごせる。
それが分かっていながら生来の怠惰、一向に進歩の気配も無く、辞書や参考書が増えていくだけである。

母国語を除けば、中国語以外は殆ど解せず、中華圏以外では日常会話でさえ手も足も出ず、旅の楽しさも半減してしまう。

そのくせ旅好きで、1年に1度日本を脱出しないと「外国に行きたい病」を発病してしまうので、大病に陥る前に出かけている数年である。

それを可能にしているのは、心強い通訳が同行してくれるからである。
旅の相棒K氏は、英語、スペイン語を操る長年の朋友で
函館在住のご隠居である。20代から中南米をメインに単独で渡り歩き、嗅覚と度胸で市場を開拓し、販路を切り開いてきた言葉の達人である。

多年に渡る外国での生活で培ったものであろう。
旅先でのユーモアとウイットに富んだ言葉の生かし方というか、間のとり方というか、タイミングの良さに感心させられることが多い。

私如きの発する駄洒落やギャグも、それなりに場を和らげることもあるが、ユーモアには品格と知性が伴う。
ゆえに、下ネタは入ってはならない。


昨年秋は、中欧三カ国の旅を2週間ほど同行した。
その際にも彼の会話能力と機転が大いに発揮されたわけだが、少しだけ披露させて頂くことにする。

プラハの宿での事

観光客の多いこの町は、ホテルも多いが料金もそれなりで、安くは無い。
我々が手配していた宿は、ホステルといわれる設備で
家具、調度品は歴史も伝統も感じさせない部屋で、合板で作った備品とベッドも木枠のみ、薄っぺらなマットをのせただけの粗末なもの。

シャワー、トイレ、洗面所は共同・・という簡易宿であった。
部屋の鍵が筋金入りの頑固者で、右に回せど左に戻せどビクともしない代物。
昔、音の出ないラジオなら1発ぶん殴ると、いっときは聞こえたものだが頑丈さがぜんぜん違う。
何度目かにコツらしきものを掴みオープンに成功。

翌朝、リビングで朝食(といっても、ロールサンドとコーンフレーク)さなかに、新客がドアーに取り付き懸命に開けようと試みるが、我々の視線もありあせってきている様子。オイオイ”あちらさんも苦労してるぞ・・と笑いながら眺めていた。

4〜5分間格闘の後、なんとか開いた。
K氏、間髪を入れず「コングラッチュレーション!」
居合わせた客のあいだに、拍手がわく。

ブタペストの出来事

城を見学に出かけた際、屋外で「世界のワインフェスタ」が実施されていた。
会場に入るため料金を払い、入場チケットとワイングラス入りのポシェットの類を首からぶらさげ、入り口に向かう。
入り口のモギリ嬢がチケットの半券をちぎると同時に手首にリボンを結んでくれる。一目で関係者か客を見分ける方法なのであろう。

私は前のかたに習って、右手を差し出す。
K氏は両手を差し出しニコリ・と笑う。
いわゆる、手錠掛けをやられる前のポーズ。
これも、沸いた。

別の日、宿の近辺のお店がクローズしてしまい、寝酒を買い損ねてしまった。コンビニも見当たらない。

雑貨店を覗くと、店の奥方らしい人が1人で留守番、ワインが眼にとまる。
雑貨店にあるワインだから種類もしれたもの。
手頃の価格のヤツを1本手に取り、代金を払おうとすると瓶代金は別・・という。

大した額ではないから、ゴミにならないように回収するのが目的なのであろうが、観光客と見てのフッカケかもしれない。
この場面でも、K氏の一言「私たちは、瓶は飲めないので瓶は要りません」・・瓶代は免除となる。

ウイーンからプラハに戻る列車内での出来事

客席は個室になっており、4人掛けが向き合う形。
乗り合わせがドイツ人とフランス・ソルボンヌ大学在学の若いカップルで会話もはずみ、なかなか良い道連れとなる。

このドイツ人、タテヨコ充分で恰幅がよろしい。
自然研究家ということで、世界各国を渡り歩き、英語、フランス語、スペイン語に勿論ドイツ語とこなす50歳代の社交的な人物。

互いの素性を明かしている最中、独身だから子供なし・・という彼にK氏のジョーク・・
「それは、あなたが知らないだけ、世界のアチコチに2〜3人、父親を知らない子供たちが待ってるよ!」
これも受けた。

旅の楽しさの半分は、見知らぬ人との交流、その武器はなんと言っても会話である。
日本語でさえ、手垢のついた言葉しか話せない当方としては、話に入っていけない恥を隠すため、物分かりのいい顔で笑っているだけなのであった。

あさましい

2009年02月16日(月)

雪不足の昨年に比し、今冬は更に少ない。
春一番も吹き終え、このままダラダラと春に突入しそうで些か心配である。
どこかで、帳尻が合うと思うのだが・・・・

決断が早い、即断即決タイプ・・といえば聞こえが良いが、短期で気弱な性格から、家内にも何の相談もせず北海道の生活を決め、いつのまにか9年目となった。
かなり軟化してきた・・とは言え家族には、自分勝手で傲慢な亭主と思われ、さっぱり評価せれていない。

給料取りとして、最後の勤務地であった6年間の台湾生活を決めたのも相談なしで有ったので、云わば「札付き」なのである。

その結果、単身生活を余儀なくさせられているのだが、何がわずらわしいといって、飯の仕度が一番面倒である。
一人分だから、出来合いで簡単に済ませれば良いのだが一汁四菜ぐらいは用意しないと、せっかくの食事に興がのらない。

生野菜、魚類、肉、煮物、小椀物、香の物・・と毎日のメニューを冷蔵庫の中身を確認しながら作るわけだが、もともと貧弱な調理技術であるから、味付けといっても知れたもの。
何にしても、難儀なことに違いは無い。

買い物は町内のスーパーで・・・となるのだが、どの店に行っても清算時にポイントカードの有無を尋ねられる。
もともと整理上手でもないから、あちこちに放置されるであろうから、ポイントを貯めようとする気などさらさら無い。

財布の中からスマートにカードを取り出し、端数の小銭を用意する・・・なんてことは、得手ではないのだ。
見栄っ張り・・というか「浅ましい」気がするのである。
塵も積もれば・・というように、馬鹿にしてはいけないのだが、男がそんな事を・・という思いの方が勝ってしまう。機械でなら、いざ知らず・・

絶対に、財を成せない性格(たち)である。

先月、千歳から東京に戻るためチェックインを済ませ、待合室で待機していたところ、乗る予定の便が整備が必要になったということになり、直前で欠航になった。

次の便に乗り換えの手続きをするので○○番窓口に・・・というアナウンスがあり、当然のごとく乗客が殺到したわけであるが、その際、我勝ちに走る姿をみるとミットモナイとひるんでしまう。

友人知己がいるわけででもなく、軽装備なので走ろうと思えば走れるのだが、待て待て・・と心のどこかでブレーキが掛かるのである。

愚図な性格でもないが、アナウンス一つで踊らされたり人を押しのけて席取りをさせられるのが何か間尺にあわないというか嫌なのである。

そして、心の中で「ええかっこしい」を悔いるのである。



 
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